ツール・ド・おきなわ 2009
2009年11月11日
高江でつかまりDNF(Did Not Finish ?)。
私も「高江友の会」の一員だな。
(写真はiokaさんとこから借用)
辺戸岬で早々と位置取りをして待つ面々。
空は晴れ、路面はドライ。
絶好のレース日和。
「このコンディションならチャンピオン200も展開が早く、早めに辺戸を通過するだろうから例年よりも早く出してもらえるんじゃないか。」
「雨でなければ下りも恐くないし、楽しみながら名護入りできるな。」
などと冗談交じりにTDOでは最も出走時間の遅い「市民85km」、辺戸に集合してから2時間待ちでユンタクヒンタク。
1年ぶりで顔を合わせる者達にとってはこの時間も十分に貴重。
とはいうものの、この後歴代最遅の出走時間となりさらにユンタクの時間が延びようとは思いもしなかった。
チャンピオン200の先頭が通過するとの連絡が入ってしばらく時間が経過するも全くそのような気配が無い。
待ちくたびれた頃にやっと先頭集団、かなり間があって(数分)メイン集団が通過。
この後、おかしな事が起こった。
黒服に連絡用のトランシーバ(?)を持った人たちが数人行ったり来たり。
何かを連絡しあっている。
どうもコース上にはすでに市民200の連中がいるようだが、様子がおかしい。
止められている!
そのうち、ちょろちょろ緑のナンバーをつけた選手が漏れ出した。
「行っていいんでしょう?!」
大声を張り上げながら走っていく。
後は雪崩を打ったように後続が行く。
いったい何があったのか?
いくつか漏れ聞こえてくることを総合すると次のようなことらしい。
本来なら、チャンピオン200が通過した後、市民200が来る前にジュニア国際130、市民130の順で出走となるもチャンピオン200が遅れた(後で聞くと楽車があったらしい)ために、市民200がチャンピオン200に追いついてしまった。
確かに、これまでのレースを思い出すとチャンピオン200の後にジュニア国際130、市民130が通過し、市民200が追いかけるような展開だったはず。
それが今回は市民130の通過前に市民200が我々の前に現れた。
結局、各カテゴリー間に時間差が無くなったために女子国際を出すタイミングが無くなってしまった。
しかし、主催者側としてはUCI(国際自転車競技連合)のアジアツアークラス2にランクされるチャンピオン200はもちろん、ジュニア国際130、女子国際85もレースとして成り立たさなければならない。
そこでこれらのレースを優先させるため市民レースを中断させたようだ。
現地スタッフからは次のような説明があった。
辺戸前を漏れ出ていった市民200を始め市民130のレーサーは辺戸の先の宜名真漁港で一旦ストップ、その後再スタートとなる。
「今回はすべての市民レースがが市民80になるわけね。」
と私が言ったら、周りの皆が納得しているようだった。
そして、力なく笑った。
我々は比較的前の方に陣取っていたので上記のように事情がある程度飲み込めたのだが、エントリーが400人ほどの大集団。
集団後方では前方で何が起こっているのか皆目検討もつかず、ただただ待たされている状況だったらしい。
予定の出走時間である10:44から1時間近く(45分くらい?)遅れて市民85が出走。
出走前の現地スタッフからの声かけが良かった。
運営自体の不手際はあるも、逐次わかる範囲での状況説明があったおかげで、これだけ遅れたにもかかわらず現場は落ち着いていた。
そして
「出走時間が遅れた分は足きり時間を考慮するそうです。
ただ、考慮はしますが、あとは皆さんのエンジン次第です。」
そうそう、すべては我々個々の能力次第。
交通規制解除の時間は変更できないはず。
となれば、最終関門である源河12:45は動かない。
R58の行く手には与那の入り口までに工事のために道幅が狭かったりシケインとセンターポールが並ぶ箇所があった。
よくもまぁ、こんな状況でこれだけのレース開催を許可してもらったものだ。
出走する側としては確かに危険だが、レース中止にしなかった主催者側に感謝すべきだろうな。
やっとの思いで工事箇所を無事に通過して与那入り口を目指していたとき、目の前で落車発生。
足はペダルについたまま、左肩を路面に接し左腕は後方、顔は右を向いたまま動かない。
後ろからは「先に行けぇ!!!」と怒号が飛ぶ。
もう少しで落車したライダーの頭を通過しそうになりながら道路左の斜面との隙間を抜けていった。
前を見るとすでに集団は長く伸びてしまっている。
確か、2年前も落車に巻き込まれて中切れを起こしたんだよなぁ(進歩がない)。
与那に入ってからはひたすらクルクルペダリング。
全くといって良いほど練習せずに望んだ今回のレース。
家族からは「えっ、本当にレースに出るの???」と言われつつ自宅を後にしてきた。
そのような者が与那を易々と上れるはずもなく、ひたすら上を目指した。
それでも登りでは何人かを交わしていった。
どの当たりだったかは定かでないが前を行っていたみっきいさんにも追いつくことができた。
なんとか与那を登り切り、普久川ダムに達したところでKIDSメンバーのY名がボトルを手渡している。
「えっ、彼でさえも足きり???」
これは厳しいことになった。
安波に向け、急降下。
元来、下りが恐い私はおそるおそる走る。
先に交わしたみっきいさんにも簡単に追い越されてしまった。
それでもなんとか追いつこうとペダルを踏んで見るもやはり恐い。
そして、安波集落手前の橋にかかる直前、左カーブから右カーブに変わる当たりであわやコースアウト。
ガードレールの直前でストップ。
頭の中ではガードレールを超えて向こうの雑木林に転がっていく自分が見えていた。
たしか、海外のレースで右カーブを曲がりきれずにガードレールを超えて崖に落ちながら無傷で戻ってくるレーサーの映像があったと記憶するがまさにそれと同じ事をするんだろうなとあの短い時間で考えていた。
後続の選手達も驚いた様子で私の方を振り返りながら走っていった。
安波集落の先の登りで追いつき、
私:「さきほどは、ご迷惑をおかけしました。」
選手A:「急に前輪が振れだしたのでパンクしたのかと思いました。」
高江までは登り基調。
登りで追い抜き、下りで離されるを繰り返しながら先へ進む。
いったい、アップダウンはいくつこなしたのだろう。
もうすぐ高江の関門というところ。
前方右側を走るライダーを左からパスして行くと、前方からトヨタVitzが反対車線を下りてきた。
右側を走るライダーに
私:「今、車が下りていきましたよね」
選手B:「下りていきましたね。」
私:「ということはすでに交通規制解除になったと言うことですかね?」
選手B:「うーむ」
その先、高江関門の手前で赤旗が振られていた。
1時間ほど遅れたスタートの「考慮」は20分くらいか。
ま、こんなもんでしょ。
高江には大集団が待ち構えていた。
まさに一網打尽。
さっさと計測タグをはずして大会関係者に手渡した。
タグをはずせば自走で名護に戻ってもよいとのこと。
KIDSの見慣れた面々と相談し、御殿場からのお客人たちも一緒に自走で名護を目指すことにした。
練習不足の自分が名護まで自走できるのか?
一瞬迷ったが、今年は皆で走る機会のなかった自分にとってはこれが最初で最後のヤンバル練だからとついていくことにした。
有銘の坂を敬遠し、東村から塩屋に抜けていった。
レース中は周りの景色など目に入らないが、リラックスしたサイクリングだとこんなにも風光明媚だったかと驚かされる。
R58に出てからは平坦。
練習不足からスタミナ切れした私は途中から一人旅。
皆に遅れて名護到着となった。
名護市民会館では御殿場からの面々としばし反省会。
リザルトによれば、市民85においてこれだけ厳しい条件下でも104人がゴールしていた。
エントリー数からすると完走率は25~30%というところか。
雨にたたられた2005年と同じような完走率。
あの時はエントリー数が今回よりもはるかに少なかった。
だとしても、上位30%に入れるだけの実力を持つことがレース参加の条件かもしれない。
それと、今回はスタートから与那入り口までに工事箇所が複数あったおかげで足を使うことなく与那突入となった。
おかげで、与那の上りはかなりのハイペースでそれこそアウターでガンガン上っていたらしい。
つまり、与那の上りでついた差がそのまま結果に現れているわけで「坂で差がつく」という自転車ロードレースの本質を際立たせた今回の市民85だったということだろう。
減量しスタミナをつけ、与那をアウターで駆け上がれるようになることが必要だということか。
私も「高江友の会」の一員だな。
(写真はiokaさんとこから借用)
辺戸岬で早々と位置取りをして待つ面々。
空は晴れ、路面はドライ。
絶好のレース日和。
「このコンディションならチャンピオン200も展開が早く、早めに辺戸を通過するだろうから例年よりも早く出してもらえるんじゃないか。」
「雨でなければ下りも恐くないし、楽しみながら名護入りできるな。」
などと冗談交じりにTDOでは最も出走時間の遅い「市民85km」、辺戸に集合してから2時間待ちでユンタクヒンタク。
1年ぶりで顔を合わせる者達にとってはこの時間も十分に貴重。
とはいうものの、この後歴代最遅の出走時間となりさらにユンタクの時間が延びようとは思いもしなかった。
チャンピオン200の先頭が通過するとの連絡が入ってしばらく時間が経過するも全くそのような気配が無い。
待ちくたびれた頃にやっと先頭集団、かなり間があって(数分)メイン集団が通過。
この後、おかしな事が起こった。
黒服に連絡用のトランシーバ(?)を持った人たちが数人行ったり来たり。
何かを連絡しあっている。
どうもコース上にはすでに市民200の連中がいるようだが、様子がおかしい。
止められている!
そのうち、ちょろちょろ緑のナンバーをつけた選手が漏れ出した。
「行っていいんでしょう?!」
大声を張り上げながら走っていく。
後は雪崩を打ったように後続が行く。
いったい何があったのか?
いくつか漏れ聞こえてくることを総合すると次のようなことらしい。
本来なら、チャンピオン200が通過した後、市民200が来る前にジュニア国際130、市民130の順で出走となるもチャンピオン200が遅れた(後で聞くと楽車があったらしい)ために、市民200がチャンピオン200に追いついてしまった。
確かに、これまでのレースを思い出すとチャンピオン200の後にジュニア国際130、市民130が通過し、市民200が追いかけるような展開だったはず。
それが今回は市民130の通過前に市民200が我々の前に現れた。
結局、各カテゴリー間に時間差が無くなったために女子国際を出すタイミングが無くなってしまった。
しかし、主催者側としてはUCI(国際自転車競技連合)のアジアツアークラス2にランクされるチャンピオン200はもちろん、ジュニア国際130、女子国際85もレースとして成り立たさなければならない。
そこでこれらのレースを優先させるため市民レースを中断させたようだ。
現地スタッフからは次のような説明があった。
辺戸前を漏れ出ていった市民200を始め市民130のレーサーは辺戸の先の宜名真漁港で一旦ストップ、その後再スタートとなる。
「今回はすべての市民レースがが市民80になるわけね。」
と私が言ったら、周りの皆が納得しているようだった。
そして、力なく笑った。
我々は比較的前の方に陣取っていたので上記のように事情がある程度飲み込めたのだが、エントリーが400人ほどの大集団。
集団後方では前方で何が起こっているのか皆目検討もつかず、ただただ待たされている状況だったらしい。
予定の出走時間である10:44から1時間近く(45分くらい?)遅れて市民85が出走。
出走前の現地スタッフからの声かけが良かった。
運営自体の不手際はあるも、逐次わかる範囲での状況説明があったおかげで、これだけ遅れたにもかかわらず現場は落ち着いていた。
そして
「出走時間が遅れた分は足きり時間を考慮するそうです。
ただ、考慮はしますが、あとは皆さんのエンジン次第です。」
そうそう、すべては我々個々の能力次第。
交通規制解除の時間は変更できないはず。
となれば、最終関門である源河12:45は動かない。
R58の行く手には与那の入り口までに工事のために道幅が狭かったりシケインとセンターポールが並ぶ箇所があった。
よくもまぁ、こんな状況でこれだけのレース開催を許可してもらったものだ。
出走する側としては確かに危険だが、レース中止にしなかった主催者側に感謝すべきだろうな。
やっとの思いで工事箇所を無事に通過して与那入り口を目指していたとき、目の前で落車発生。
足はペダルについたまま、左肩を路面に接し左腕は後方、顔は右を向いたまま動かない。
後ろからは「先に行けぇ!!!」と怒号が飛ぶ。
もう少しで落車したライダーの頭を通過しそうになりながら道路左の斜面との隙間を抜けていった。
前を見るとすでに集団は長く伸びてしまっている。
確か、2年前も落車に巻き込まれて中切れを起こしたんだよなぁ(進歩がない)。
与那に入ってからはひたすらクルクルペダリング。
全くといって良いほど練習せずに望んだ今回のレース。
家族からは「えっ、本当にレースに出るの???」と言われつつ自宅を後にしてきた。
そのような者が与那を易々と上れるはずもなく、ひたすら上を目指した。
それでも登りでは何人かを交わしていった。
どの当たりだったかは定かでないが前を行っていたみっきいさんにも追いつくことができた。
なんとか与那を登り切り、普久川ダムに達したところでKIDSメンバーのY名がボトルを手渡している。
「えっ、彼でさえも足きり???」
これは厳しいことになった。
安波に向け、急降下。
元来、下りが恐い私はおそるおそる走る。
先に交わしたみっきいさんにも簡単に追い越されてしまった。
それでもなんとか追いつこうとペダルを踏んで見るもやはり恐い。
そして、安波集落手前の橋にかかる直前、左カーブから右カーブに変わる当たりであわやコースアウト。
ガードレールの直前でストップ。
頭の中ではガードレールを超えて向こうの雑木林に転がっていく自分が見えていた。
たしか、海外のレースで右カーブを曲がりきれずにガードレールを超えて崖に落ちながら無傷で戻ってくるレーサーの映像があったと記憶するがまさにそれと同じ事をするんだろうなとあの短い時間で考えていた。
後続の選手達も驚いた様子で私の方を振り返りながら走っていった。
安波集落の先の登りで追いつき、
私:「さきほどは、ご迷惑をおかけしました。」
選手A:「急に前輪が振れだしたのでパンクしたのかと思いました。」
高江までは登り基調。
登りで追い抜き、下りで離されるを繰り返しながら先へ進む。
いったい、アップダウンはいくつこなしたのだろう。
もうすぐ高江の関門というところ。
前方右側を走るライダーを左からパスして行くと、前方からトヨタVitzが反対車線を下りてきた。
右側を走るライダーに
私:「今、車が下りていきましたよね」
選手B:「下りていきましたね。」
私:「ということはすでに交通規制解除になったと言うことですかね?」
選手B:「うーむ」
その先、高江関門の手前で赤旗が振られていた。
1時間ほど遅れたスタートの「考慮」は20分くらいか。
ま、こんなもんでしょ。
高江には大集団が待ち構えていた。
まさに一網打尽。
さっさと計測タグをはずして大会関係者に手渡した。
タグをはずせば自走で名護に戻ってもよいとのこと。
KIDSの見慣れた面々と相談し、御殿場からのお客人たちも一緒に自走で名護を目指すことにした。
練習不足の自分が名護まで自走できるのか?
一瞬迷ったが、今年は皆で走る機会のなかった自分にとってはこれが最初で最後のヤンバル練だからとついていくことにした。
有銘の坂を敬遠し、東村から塩屋に抜けていった。
レース中は周りの景色など目に入らないが、リラックスしたサイクリングだとこんなにも風光明媚だったかと驚かされる。
R58に出てからは平坦。
練習不足からスタミナ切れした私は途中から一人旅。
皆に遅れて名護到着となった。
名護市民会館では御殿場からの面々としばし反省会。
リザルトによれば、市民85においてこれだけ厳しい条件下でも104人がゴールしていた。
エントリー数からすると完走率は25~30%というところか。
雨にたたられた2005年と同じような完走率。
あの時はエントリー数が今回よりもはるかに少なかった。
だとしても、上位30%に入れるだけの実力を持つことがレース参加の条件かもしれない。
それと、今回はスタートから与那入り口までに工事箇所が複数あったおかげで足を使うことなく与那突入となった。
おかげで、与那の上りはかなりのハイペースでそれこそアウターでガンガン上っていたらしい。
つまり、与那の上りでついた差がそのまま結果に現れているわけで「坂で差がつく」という自転車ロードレースの本質を際立たせた今回の市民85だったということだろう。
減量しスタミナをつけ、与那をアウターで駆け上がれるようになることが必要だということか。
















